ホールドアウトの由来
今から20数年前、そうまだ独身の時ですプロの資格をGETしハワイに行ったり、宮崎に篭もったり、国内の大会に出たりと数年間エンジョイしたけど、関東とのレベル差そしてボード作りにも興味を覚え、奈良にある工場今はホットラット当時はトムスコーピオンと呼ばれていた工場で何本かシェープしたりしてボード作りのハウトゥーを学んだりしていた。そうそう、当時の弟子というか弟分の吉岡修が、僕がシェープしたボードを使って日本海(高浜)であった大会で(名は忘れたけど)入賞してきたのは嬉しかった。そうこうしながらボード作りをコツコツとしていた時期がありました。
時期を同じくして同級生で今はハワイに移住した梅田芳伸や、現在でも四国在住の出井利通が四国で当時日の出の勢いがあったサーフショップ「ウェーブ」のオーナー梶原氏の援助の下で四国でファクトリーを立ち上げ数年後、彼らが独立した時でなぜか?その三人のなかで一番サーフィンが下手だった僕が大阪でサーフショップをオープンするような感じになり、(まぁ当時僕は大阪南にあった伝説のサーフショップ「SURF JOHN」に所属しスタッフ経験もあったし多くのサーフ仲間・ファミリーもいたからですが。)
金融やからかなりきわどい融資を受け城東区、そう今はCHP大阪になっている店舗でホールドアウトを開業、名前は何にしょうかいろいろ悩み多くの候補のなかにはDown the southとかローリングなんとかとか悩んだが、当時流行っていたジャクソン・ブラウンのホールドアウトから意味を調べると「持続する」とか「話題を提供する」とかすごく多くの意味があったのでなんとなくこれに決定したのが真相です。後年ですがマーチン・ポッターに「良い名前だね」と言われたときはメチャうれしかったです。
それ以降サーフィンを通じて数え切れないぐらい多くの出会い思い出があり仲間が生まれ、またサーフィンをやっていなければ気が付かなかった何気ない自然の変化・美しさなどを常に経験できたりと本当に感謝しています。
by YAHHO 野間裕司 |